───急ブレーキをかけるように、思い切り、足を踏(ふ)ん張った。
いきなり、視界に入ったその光景に、思わず思考が停止する。
鼻を突く刺激臭。
それは、人間の血の「臭い」ではなかった。
紛(まぎ)れもなく────“悪魔(カグロイ)”の血臭。
床に転がる、首の無い残骸。
それが、悪魔だったモノの屍体なのだと気付くのに、少し時間がかかった。
ソレは、完全に死んでいた。
そして、目の前に立っている「彼」は、いつもの状態ではなかった。
駆けつけた私にも全く気付かず、ひどく憔悴(しょうすい)したように、ただそこに立ち尽くしていた。
けれど、その静寂な佇(たたず)まいと、その身体からこぼれるものは、まるで逆。
吐き気を催(もよお)すほど、強烈な感情。
ひどく荒々しい。
手負いの猛獣か何かみたいな、激しく昂(たか)ぶったままの威圧感。
その緊張だけで。
ぶちぶちと、空気が引き千切(ちぎ)られてゆく。
限界ぎりぎりまで張りつめた、その空気に圧迫されて、私は呼吸さえ出来なかった。
今すぐこの場を逃げ出せと、本能が絶叫していた。
けれど、もう遅い。
脚なんて、とっくに動かない。
指先一つ、ままならない。
目だけが、彼に釘付けになっていた。
長い時間をかけて、やっと、一呼吸分の息を吐き出した。
彼に気付かれないよう、密(ひそ)やかに。
けれど────
獰猛(どうもう)な捕食者のような冷たい瞳が、ゆっくりと私の方を振り向いた。