―――他人にはない「力」なんてものを持つという事は、その代価を引き落とされて生まれてくるのと同じ事だ。
例えば、他の誰もが当たり前のように持っている「何か」を、その者は欠落して生まれてくる。
それが代価。
承諾もなく、勝手に人生の口座から引き落とされたものという事だ。
でもそれは、この世界が「平等」だという証明にはならない。
そういった対価の法則は、単なる「つり合い」の原理にすぎないから。
この世界には、等しく同じモノを与えられて生まれてくる生物など、ただの一つたりとてありはしない。
不平等。個性という名の差別を無限に生み出すシステム。
差違は、進化と闘争の種子となる。
それは、ある生物が永続的に循環し続けるために、必要な因子。
だから、この世界は不平等でイイのだ。
だとしても―――
どんなに不平等だとしても、それらはつり合うように出来ている。
天国と地獄が、同じ数の偽善と拷問をそろえながら、日々、膨張してゆくように。
世界は等しくなどないが、つり合いを取るようにはできている。
つまり、この世界はとても残酷で、そして無慈悲だという事だ………
―――六月二十五日 美波家―――
私の朝は、昼に始まる。
つまり、朝と呼ぶべきその時刻は、私にとってはまだ神聖な「微睡みタイム」だった。
だというのに――――
「睦月ちゃーん、朝ですよ~♪」
それは、ドア越しのひかえめな呼び声から始まった。
当然、そんな呼び声に応じるような私じゃない。
自分で言うのも何だが、私は寝起きがよろしくない。
しかし、安眠し続ける私の態度に、妨害行為はエスカレートしていった。
大声での呼びかけ。乱暴なノック。寝室への不法侵入。
そしてついには、私への直接的干渉にまで発展した。
どうやら、この女は本気で死にたいらしい。
この家で、私の眠りをさまたげるなど、馬鹿兄の花月ですらやらない愚行だ。
「………いい加減にしろっ」
ベッドから引きずり下ろされた格好の私は、私の腕をずるずる引きずって行く女の鼻っ面を、おもいきり蹴飛ばした。
「きゃんっ!」
先日、兄の嫁になったばかりの女は、愛玩犬のような可愛い声を上げて転倒する。
ついでに、女の装備していたアイテムが床に転がった。
人の部屋に、フライパンとお玉を装備した格好のまま入ってくるとは、一体どういう了見だろう?
例え、それが世間一般の「お約束」なのだとしても、私はそんなものを認めない。
「……良い度胸だな、夕凪。私の眠りを邪魔するとどうなるか、身をもって教えられたいのか? 緊縛して、花月に見せられないようなポーズで撮影するぞ?」
「ひ、ひどい~~! 睦月ちゃんが遅刻しないように、優しくしつこくあきらめず、ただ健気に起こしてただけなのにぃ~…」
「しつこくあきらめない時点で、ただの嫌がらせだ。それに、私の遅刻はお前には関係ない。昼に登校するのはいつもの事だ。教師には重度の低血圧障害だと、入学時に伝えてあるわ。たわけめ」
「また、そんな大ウソを臆面もなく……かっちゃんは、このコト知ってるの?」
「花月には関係ない。それに遅刻常習のツケとして、定期的に補習に出てる。何も問題はない。あるとすれば―――」
「すれば?」
「お前が今、私に殺されるかも知れないという、一点だけだ………」
私はにっこり笑いながら、このどこかズレた女に、この家のルールというものを教えてやる事に決めた。
しつけはとても大切だ。
「やん♪ お手柔らかに………ね? 暴力はんたーい!」
「しつけと暴力は全然違う。それに、ニンゲンは基本的に馬鹿だから、殴られないと覚えられん事がある。何事も、“経験”は重要だぞ? なあ、夕凪」
とはいえ、本当にしつけるつもりはなかった。
何であれ、この女は花月にとって、大切な女なのだから。
口に出す気はさらさらないが、私にとっても、この女は一応「家族」というヤツだった……
人は、例えるなら天秤のような生き物だ。
何かを手にしたら、もう片方にも何かを乗せる必要がある。
それは負荷だったり、責任だったり、同情や偽善や、我慢などだったりする。
「しがらみ」が増えれば、それ相応の何かを用意してやる必要がある。
でないと、日常なんてものは簡単に壊れてしまう。
私の場合、それは「寛容」という名の忍耐だった。
「………何だ? これは」
「何って、朝ごはんだけど。もしかして、パンの方が良かった? むーちゃんって、パン派?」
「そんな派閥など知るか。問題はそこじゃない。私の食事は用意しなくていいと言わなかったか?」
「でも、ちゃんとごはん食べないと、身体に良くないわ」
「基本的に、経口での食事はしないという意味で言ったんだ。私のファイルくらい読んだのだろう? 石蕗夕凪」
「もぅ。今はミナミさん家の新妻の夕凪なんです。もう、ツワブキ姓じゃありません」
「どうでもいい。それともこれは、かわいげのカケラもない義妹に対する、嫌がらせなのか? 夕凪」
「………ごめんなさい。そういうつもりじゃなかったんだけど…むーちゃん、ホントにもう食べられないの?」
「…………基本的にはと言ったろう? 食えないという意味じゃない」
死にかけの子猫のような顔で、じぃっと見つめる夕凪に、仕方なく、私は用意された膳の中身に手をつける。
花月の言っていた通り、料理の腕前はなかなかのようだった。
見た目も、食材の扱いも、火の通りも絶妙だ。
「どう? 美味しい?」
「…………うすい」
「え?」
「味がしないと言ってる。花月と同じ味付けのものは、私には“味がない”のと同じだ。調味料を持ってこい」
「え? あ、はいは~い」
ぱたぱたとキッチンへ向かう夕凪。
きっと繊細な味がするのであろう煮物を、もむもむとただ噛み砕いて飲みこむ。
冗談ではなく、「味」を感じない。
だから、私はあまり食事が好きじゃない。
これから毎日、こんなやり取りが続くのだろうか?
そうだとしたら、かなり溜まりそうだ………
味のしない食べ物を機械のように食べながら、私は小さく溜息をついた。