この街―――鶴伎町一帯には、ある特殊な「磁場」のような力がある。
それが実際に磁力なのかどうかはあまり重要じゃない。
不可視という意味において、それは同種のものだった。
何かを―――例えば人を引き寄せて、巻きこんで、そして導く力。
例えるならば、それは渦のような力。
そういうものが、この土地には昔から存在している。
だから、私達のような人間が多く集まる。
集まり、群れをなし、そして組織が産まれる。
監視者も、その監視対象も、まるで箱庭のようなこの街に集い、そして出会うのだ。
だが時には、人間以外のモノ達とさえ、出会ってしまう。
それは不幸ではなく、悲劇ですらなく、私達のような人間にとっては「必然」ともいうべき業のようなものだった………
時間が違えば、景色の色彩も変わる。
光の色が違うだけで、闇の濃さが違うだけで、同じ景色が全く別のものに見える。
まるで、知らない時間に迷いこんだみたいに。
(ヘンな流れが来てるみたい………イヤな感じ)
真夜中の街を歩きながら、全身をレーダーのようにして、その感覚の方向を探っていた。
アズミが帰った後、私は何となく街に出た。
予感がしていたのだ。
彼に会えるような、そんな予感が。
観察者として、監視者としての言い分と、それとは別のプライベートな欲望の利害が一致して、私は夜中の散歩へと繰り出した。
けれど―――
こんな夜は、予期しないモノに出逢うことが多い。
この土地が「それ」を引き寄せているのか、それとも、何かが渦の中心にいるせいなのか、私には分からない。
それでも、日を追うごとにその力が増している気がしていた。
その内、また厄介な事件が起きそうな予感さえする。
「………何か用?」
不意に足を止めると、私はゆっくりと振り返る。
異様なモノが、すぐ後ろに立っていた。
夜遊びにしてはこんな場所にいる事自体がおかしい。
犯罪目的にしては、少々臭いがきつい。
血の臭い。
そして、腐臭。
闇の中で鬼火のように輝くその眼は、人というより悪鬼か羅刹と言った方が相応しい。
とはいえ――――それは私の「管轄」じゃなかった。
「モドキ……というよりは、“同類”みたいね。それとも“元同類”と言うべきかしら?」
昼間、本部で聞いた情報の中に、当てはまるケースが一件あったのを思い出す。
現在、実働部隊が作戦行動中の案件。
どうやら、彼等よりも先に、私がそれと接触してしまったらしい。
なんて、間が悪いのだろうか。
「…………………オ前、ホウジョウ……カ?」
ひどくしゃがれた声だった。
かなり声帯が痛んでいる。
もう、長くはないのだろう。
彼等の全てが―――変質した「同胞」の全てが、【逸脱者】に至るワケじゃない。
化け物になるのにさえ、資格は必要なのだ。
適正がなければ、肉体はその情報変質に耐えきれずに崩壊する。
人から、人でないモノへと変化する過程で、腐り朽ちて死んでゆく。
その男―――元は同僚だったはずの見知らぬ男は、その適正を持っていなかった。
「だったら、何?」
「………悪ク思ウナ……コレモ、生キルタメ……ダッ!」
【モドキ】と違い、【変質体】は非常に危険だ。
思考と意志がはっきりと存在しているため、その行動や動きにためらいやムダがないのだ。
限りなく鬼に近しいモノへと変化したその肉体は、獣のそれを遙かに凌駕する。
彼等からすれば、人間など、血のつまった袋に等しい。
その爪が、眼球の動体視力をはるかに超えた速度で襲いかかった。
回避は不可能。
防御も出来ない。
「…………!!??」
しかし、あっさり空を切った男の腕が、勢い余ってアスファルトに火花を立てた。
回避出来る速度じゃなかった。
だが、それは目で「見て」からの話。
防御する必要はなかった。
ただ、当たらなければいいだけの話だ。
「退きなさい。アナタは私の管轄じゃない」
「……マサカ…………」
何かを思い出したように、男がうめく。
「知ッテイルゾ、ソノ―――忌マワシイ瞳! 魔女ノ眸! オ前、“魔女ノ後継者”カ!?」
男の言葉に、私は思わず苦笑いを浮かべる。
どうやら、またうまく「機能」していないらしい。
このところ、ずっと使っていなかったせいかも知れない。
力を使うと、目の色が変わる―――元々はそんな分かりやすい仕様じゃなかったはずなのに、最近はどうもそうなる傾向にあった。
これも一種の「変質」症状なのかも知れない。
“魔女”と呼ばれた猟人―――あの北城殺の弟子なんかをやっているせいで、私のこの目までいつの間にか“魔女の眸”などと呼ばれていた。
「…いつになったら、その呼び名で呼ばれなくなるのかしら? いい加減、現役時代の通り名で呼ばれるのは、恥ずかしいんだけど……」
瞳の変化についてはともかく、力自体は安定している。
おかげで、初撃は完璧に予測処理できた。
でも、いつまでも続くと厄介だ。
今の手持ちは、この「目」ともう一つだけしかない。
ポケットの中に入れっぱなしだったものを取り出すと、それをアズミからもらった紙袋の中身に装填した。
まるで、専用にしつらえたみたいに、楕円形の石が、オモチャの銃の中に収まった。
私はそれを手にすると、ゆっくりとその弾丸の出ない銃口を、目の前の人鬼に向けた。
「………ソンナ、オモチャデ…何ガデキル?」
硝煙の匂いどころか、鉄の匂いさえしない私の銃に、男は侮蔑するように唇をつり上げた。
「忘れたの? 私達の戦いで、何が一番重要なのか」
銃を撃つのは、ミサイルのボタンを押すのとはワケが違う。
それは決して簡単な事じゃない。
鈍器よりも、刃物よりもシンプルだが、その重みと銃撃の反動は確実に撃った腕に残る。
銃口の狙いを定めるのは、純粋な害意。
銃爪を引くのは、確実な殺意。
たまたま指を動かせば、人が死ぬような代物じゃないのだ。
銃は、敵を狙って破壊するための武器なのだから。
「―――先入観は死を招く。ルールブレイカー同士の戦いにおいて、相手が何をしているのか、何をしようとしているのか、決めつけるのは最も愚かな行為だから」
銃爪に指をかける。
ご丁寧に、そこも稼働する作りになっていた。
とはいえ、弾が出る仕組みじゃない。
その銃爪はあくまで、ただの「飾り」でしかない。
装置ですらない、ただの可動部品。
「この状況で、ただのオモチャをこうして向ける事に、何の意味があると思う? 注意をそらして、その裏で何を仕掛けていると思う?」
男の顔から、笑みが消えてゆく。
同時に、何かにひどく苛立ったような眉間のしわが、顔中に広がるみたいにその表情を大きく歪めた。
「…出逢った瞬間に、逃げるべきだったわね。そうしたら、追いかける事もしなかったのにね」
「…………オ前、ホウジョウ…ジャナイノカ? カリュウド………ジャナイノカ?」
「私は監視者。今は北城で猟人でもない、ただの監視者なの。だから、見逃してあげる。消えなさい」
私の言葉に、男は醜く笑った。
「……イイサ……別ノヲ、喰エバイイ………モット、ガキヲ………柔ラカクテ、弱イ…メスノガキガ…イイ」
鬼の本能に支配された脳は、もはや人の誇りも尊厳も溶け果てた、ただの欲望の塊だった。
犯して殺して奪う。
それしかない脳。
「そう。なら、仕方ないわね――――」
ためらわず、私は銃爪を引いた。
かちりと、樹脂で出来た銃爪が可動する。
同時に、男の頭蓋が粉々に吹き飛んでいた。
男には、何が起きたのかさえ、理解出来なかっただろう。
そのまま、二度三度と続けて、銃爪を引く。
そのたびに、男の鋼のごとき硬質化した肉体が、風船のように何度も弾けて、ズタズタに爆裂した。
血飛沫が闇の中に吸いこまれるように舞い、霧のように拡散する。
銃の中に装填されているのは、ある【魔葬】の部品。
【魔葬】は、必ずしも武器の形状をしているワケではない。
そして、武器の形状である必要もない。
私の指が引いたのは、オモチャの銃爪。
けれど、私の殺意が引いたのは、その中に装填された【魔葬】の銃爪。
敵を破壊し殺すための、「力」のトリガー。
(………やっぱり、イメージだけで「撃つ」よりは、こういう形がある方が、精度も威力も増すみたいね)
破壊した男のことなど、気にも留めていなかった。
感情でためらったから、見逃そうと思ったワケじゃない。
男に言った通り、「管轄」じゃないから、見逃そうと思った。
けれど、結局は殺した。
人でないモノを、私は許容出来ない。
この【魔葬】のように、ただそれを滅ぼすだけだ。
優越感でも恐怖でもなく、快楽でさえない。
否定で殺す。
それが、私達【猟人】だった………