遅い朝食を食べ終えて、小春がいなくなると、また部屋の中が広くなった。
ここでは、時間が長く感じられる。
だからなのかも知れない。私は一日の大半を眠りに費やしていた。
他にする事がない。
「外出」しても、あのコにバレると面倒だった。
きっと、いっぱい怒られる。
もっとも、バレた事なんか一度もなかったのだけれど。
(………また、新しくなってる)
床に寝転んだまま、天井を見ていた。
ついこの前、部屋中を「いじった」ばかりだというのに、もう新しい「マーカー」が再構築されていた。
小春の仕業だ。
彼女は、この「檻」の管理人でもある。
物理的にも、ここは鉄壁と言って良いくらい異常な改築がされていたが、そんなものはまるで意味がない。
私みたいなのには、まったくそんなものは意味がない。
簡単に【侵蝕】して、あっさり抜け出せるから。
だから、ここを任された彼女はある面白い仕掛けをほどこした。
それが「マーカー」。
私が【侵蝕】すると、書き換えられた情報の中で、「マーカー」が壊れて、そこに色を残す。
巧妙に、繊細に、そして確実に。
元々の物質の情報じゃないそれを、元の状態に復元するのは非常に困難だった。
どれくらいかというと、私の場合、たった一つの「マーカー」を修復するのに、半日くらいかかる。
そんなものが、何十万と、びっしりこの座敷牢の区画全域の壁と床と天井に仕込まれているのだ。
つまり―――私がこっそり「外出」すれば、どこから出て行ったのかが分かってしまう。
そういうからくりだった。
「………………いたちごっこ、好きよね…小春って」
私は仕事熱心なメイドの、人懐っこい顔を思い浮かべながら、わざと「マーカー」が壊れるくらいの弱い【侵蝕】を、周囲にかけた。
そのまま、座敷牢全体までそれを延ばす。
ぱりぱりと、乾いた花の種が弾けるみたいに、「情報マーカー」が破裂してあっという間に部屋中が見えない色で埋め尽くされた。
真っ赤な色。
それは、普通の人間には見えない。
私も、「見よう」と集中してようやく見える、そんな幻想みたいな色彩。
マーカーの色を「紅」にする辺りが、私が彼女を気に入ってる理由だった。
私とあのコの好きな色。
血のような紅。
部屋中のマーカーを全部壊して、視界の全部が赤くなると、私はそのままお昼寝する事にした。
少しだけ、気分が良い。
これを見て、小春はどう思うだろう?
またいつものように、何も気付かないフリをして、新しく仕込み直すんだろうか?
今度は、もっと変わったのがイイ。
侵蝕の深度で色が変わるとか。
何にしても、こうして痕跡だらけにしてしまえば、私がどこからどうやって外に出てるのかなんて、推測不可能なのだけれど………
―――「吸血鬼」というものには、まだ逢った事がない。
けれど、血を求める気持ちなら分かる。
それは衝動。病気のようなものだ。
人として、それがどんな倫理に反するのかなんて、関係ないのだ。
理屈で生きられるのは、お気楽で無力な【通常人類】だけだ。
私達の場合はまず、このもてあますしかない「欲望」をどう処理するか、それを考えなければならないのだ。
そうしないと、あっという間に「堕ちて」しまう。
人でないモノ。あの浅ましい鬼に。考えたくもない醜い魔に。あっという間に成り果ててしまう。
それだけは、ゴメンだった。