―――七月九日 枢井碕―――
あれから、二日が経っていた………
彼女の用意周到な不意打ちから始まった、その不可解で凄惨な血の宴が始まってから、四十八時間が経過していた。
「侵蝕」同士がぶつかり合う戦いは、どこか陣取り合戦に似ている。
条件が拮抗してしまうと、千日手になるのだ。つまりは、持久戦だ。
そして、悪魔に空腹や睡眠は必要ない。
その気になれば、何百日でもそんなものは不要のままでいられる。
けれど初手の失敗の分、私が不利だった。
そして、二日かけて、彼女の「侵蝕」がついに私を捕らえた。
私はドレスを真っ赤に染め上げ、全身を穴だらけにされた姿で、祭壇にはりつけになっていた。
「―――じゃあね、人形ちゃん」
彼女の「侵蝕」が、私の身体を侵してゆく。
彼女の力が、私の肉体を―――その「情報」を死に書き換えてゆく。
私達にとって、物理的な破壊はあまり意味がない。
そんなものは、簡単に修復出来てしまう。
この世のありとあらゆる物質と、ありとあらゆる事象を構成している根源因子。
それが「情報」。
それに干渉し、書き換える行為を【情報侵蝕】という。
それは、この世で私達【悪魔】と、その敵対者である【エンジャ】しか持ち得ない能力。
それゆえに、私達はこの世界そのものにうとまれている。
世界のコトワリを破壊する私達は、世界に呪われていた。
その呪われた力が今、私の存在を破壊してゆく。
私という存在を構成する情報が、次々と「死」に書き換えられてゆく。
「安心して良いわ。アンタの代わりに、私が――――“蒼”の代行者としての務めを果たすから。だから、安心して死んで。めざわりだったのよ………初めて目にした時からずっとね」
勝利を確信した彼女は、私の右眼を穿った鉄杭に足をかけたまま、嬉しそうに嗤った。
私は、ゆっくりと、目を閉じる――――
そして、その「闘争」を受諾した。
「………闘争、受諾…アナタを打倒します……」
「はっ! 今更何言ってんのよ! このボロ人形!!」
私は無造作に腕を引きはがす。
鉄杭に穿たれた部分の肉と骨が、ごっそりと無くなっていた。
ぼたぼたと血をこぼすその腕を見て、彼女が嗤う。
けれど――――次の刹那、その笑みが凍った。
「……セキシキ」
私の手に握られた巨大な剣。
その正体を瞬時に見抜き、彼女が驚愕する。
だが、もう遅い。
「ぎゃっっっ!!!」
一刀でその足を斬り飛ばした。
しかし、彼女はそのまま飛び退いただけで、逃げようとはしなかった。
今なら、逃げられたかも知れない。
「今の私」なら、逃げる相手を追うつもりはないのだから。
けれど、彼女は逃げなかった。
プライドなのか、妄執なのか、煉獄のような炎をその金色の眼に宿して私をにらみつけ続けた。
それが彼女の選択肢。
次の瞬間、私の中の「もう一人」が、彼女の「死」を確定した。
『………懐かしい顔を見たと思えば、ブザマだな。だからお前は落ちこぼれなのだ』
「なっ―――アンタ、誰に向かってそんな口をっ!!」
元同胞の激情が心地良い。
そうだ。こうでなくてはいけない。
「闘争」とは、かくあるべきだ。
殺意と快楽と、あとはひたすら刃だけがあればいい。
鋼の刃。
言葉の刃。
憎悪と怒りと拒絶の刃。
互いに互いを切り刻む、救いようのない刃だけがあればいい。
『それはこちらの台詞だ牝犬。誰に向かって噛みついてる? 誰がそんな許可をした?』
「許可だと? 一体、何を―――」
『……まだ気付かないのか? 目の前にいるのが、“誰”なのかも。だから、お前は落ちこぼれなんだ。お前が欠陥人形と呼ぶ“コレ”にさえ、遠くおよばぬ駄犬の分際で、“蒼”の代行者だと? 笑わせるな、駄犬』
「…………貴様、誰なの? 人形ちゃんじゃない……別の――――」
『いずれ分かる。お前も死んで初めて、理解出来る。この“器”がどれほど優秀なのか、自分がどれほど無能だったのか、死んで初めて理解できる。それが悪魔という種のサガだ』
「……貴女は、まさか――――」
『言ったはずだぞ、駄犬。死ねば分かるとな』
そのまま、まだ修復もしていない腕で剣を振った。
血糊ですべった柄がずるりと抜けるように飛んで、その鋭利な切っ先が愚かな女の心臓を撃ち貫いていた。
避ける事も受け止める事さえ出来ずに、その哀れな同胞は血の泡を吐きながら、激しい勢いで後ろの壁にはりつけになった。
ついさっきまでとは逆の状況だ。
『……セキシキ、イグニッション』
私に忠実なその魔剣―――【魔葬セキシキ】は、女の断末魔を吸い上げて一気に爆炎を吐き出した。
あっという間に、食堂の中が炎に包まれる。
『…そう言えば、まだ聞いていない事があったな。肝心の情報がまだだ』
刀身から噴き出す魔炎に灼かれ、崩れながら朽ちてゆく同胞の消し炭のような身体に触れると、その頭を握りつぶした。
そして、必要な「情報」を手に入れた。
『…………なんだ、もったいぶったワリには、大した情報でもないな』
死んだ同胞の数と、その個体情報。そんなものには価値もない。
あの地に巣くう敵対者の情報は、ほとんどないに等しかった。
そもそも、そんなものを悪魔は必要としない。
超越者である自分達が、「負ける」などとは思いもしないのが悪魔だ。
そして、死ぬのだ。
そのおごりが、その生命を散らすのだ。
だが、そんな簡単な摂理さえ、悪魔は死なねば学習できない。
一度「殺されて」初めて、それが理解出来るようになる。
この世界には――――いや、我等の敵対者の中には、そういう「存在」もいるのだという単純至極な現実を、死んで初めて認識出来るようになる。
美しい炎が、愚かな道化の屋敷をどこまでもむしばんでゆく。
館が灰になるまで、その破壊の光景をどこまでも愉しむ事にした。
ボロボロの身体は、その間に修復してやるとしよう。
まだまだ、この“器”は必要なのだから…………